選択

 広場から帰って、慌ただしくさつきとアルファとヒトの昼食。ヒト、食欲なし。
 エアリアルは、水もフードも拒否。欲しい時は、注射器を見せると顔を寄せるのに、昨夜から、ぷいっ。食器から水だけ飲もうとする。ヤギミルクもぷいっ。水道水のみOK。

 それから、慌ただしく再び広場へ。昼と違って、6頭の先客がいた。その内2頭は初めて見る犬で、エアリアルの嫌いな黒ラブが1頭いた。その子がエアのカートに近づくと、ガウッと空ガミ。どこにそんな元気が残っているのだろう。他の犬たちがにぎやかに走っているのを、首を上げて見ていた。自分もその中に加わりたいと思っているのか。久しぶりに、エアリアルが「アウっ」と言う声を聞いた。もう聞けないと思っていたのに。

 広場から病院へ直行。昨夜検索したmyositisの記述をプリントアウトした物を見せた。主治医も、重症筋無力症とは違うという思いはあったよう。調べてみると。

 昨夜から何も口にしていないことを告げると、やはり胃瘻を提案された。病院で看護師さんが注射器で給餌しようとしたが、わずか数cc食べさせるのに数分かかり、その間に何回も水を飲ませなければならなかった。たったそれだけで、エアリアルは顔を背けてしまった。この調子では、一日の必要量を口から入れるのは不可能だ。しかも、常に誤嚥の危険付き。

 以前から、私は、動物が食べ物を口にしなくなったら、生きるのをあきらめたということ、無理に延命することはないという考え方だった。
 しかし、いざ、胃瘻をしなければ確実にあと数日で死が訪れるという現実を目の前に突きつけられると、心が揺れる。正直言って、胃瘻をしてでも気管切開をしてでも、一日でも長く側にいてほしいという気持ちは否定できない。

 でも、それは、エアリアルの苦しみを引き延ばすだけではないのか?

 エアリアルは、そうまでして生きたいと望んでいるだろうか?
 散歩にも行ける状態で、ただ食べられないだけというなら、胃瘻を選択するかもしれない。しかし、生き延びたとしても、立ち上がることもできないで、エアリアルは幸せと言えるのか?

 アニマルコミュニケーションで、エアリアルは、「病んだ体から解放される死を歓迎する」と言った。そして、「最後の数日間は、幸せでいたい」とも言った。
 私は、競技会が好きではないと言ったエアリアルの希望を無視して、競技を続けさせた。最期くらい、エアリアルの望み通りにしてやるべきなのではないだろうか。(アニマルコミュニケーションなんかインチキと思っている人もいるだろうが)


 今、エアリアルは私の目の前ですやすや寝ている。やせ衰えて皮膚がぼろぼろなことを除けば、毎日のように見てきた光景だ。今日は、呼吸も苦しそうでない。こんな姿を見ると、あと数日でこれが見られなくなるということが現実とは思えない。

 でも、たとえ数日引き延ばしたところで、お別れの時期が近づいていることは、事実。

 目の前の姿に和むのは、現実逃避か?

 迷う。

 迷うけど、8割方決心はついている。



 胃瘻は、しない。




 どちらを選択しても、後々まで「これでよかったのだろうか」という思いが付きまとうことだろう。

 不思議なことに、エアリアルは食べることを放棄してからの方が気分がよさそうに見える。今日も、病院からの帰り道、指をしゃぶっていた。首を上げて私を視線で追う時間も長くなった。

 エアリアルの魂が、体を離れる準備ができたのだと思う。

by sawa4482 | 2012-10-20 20:46 |