エアリアルの終の住処

 頂いたお花が、少しずつ枯れて、エアリアルがいた日が遠ざかるのを感じます。

 先週の月曜日、病院からの帰り道、エアリアルは、ぽかぽか陽気を楽しむようにコットの縁に顎を乗せ、じっとこちらを見ていました。その48時間後にはこの世にいないだろうとは、あの時は思いもしませんでした。

 あれから、わずか10日程しか経っていません。でも、あの日がもっともっと遠くに感じられます。エアリアルが急激に衰弱し始めた10月からとそれ以前、それに、エアリアルがいなくなってからとそれ以前とでは、時間の流れが全く変わったのです。
 エアリアルがいた日には二度と戻れません。喪失感と過去への郷愁につぶされそうです。

 それでも、直後のような身の置き所のなさ、何にも集中できず、食べても文字通り砂を噛むようだった感覚は、多少薄れてきました。時には、「もう立ち直った」と思う瞬間すらある程です。でも、一旦闘病中のエアリアルの姿を思い出すと止まらなくなります。それが、激しい痛みと喪失感を伴うため、無意識のうちに思い出すのを避けているのかもしれません。

 エアリアルのお骨を、入れ替えました。エアリアルにふさわしい、きれいなガラス製です。大きすぎて半分くらいしか埋まりませんでしたが、ほとんど原形が残っていたため、これより1サイズ小さいと、壊さないと入れられなかったのです。本当は、エアリアルにはピンクが似合うと思ったのですが、ピンクは小さいサイズしかありませんでした。エアは白に茶色だから、白に金彩でもいいよね。このサイズは特注で、1ヶ月程かかるはずでしたが、たまたま在庫があり、初七日に納めてやることができました。エアリアルが外に出られた間はいい陽気が続き、いなくなると同時に冬の寒さがやってきたり、こういう点で、エアリアルは不思議な巡り合わせがありました。エアリアルは犬の姿で生まれてきたけど、もっと別の特別な力を持った存在だったのではないかと、最近思うようになりました。

 昨日、お友達からプリザーブドフラワーを頂きました。優しいメッセージ付きでした。花が次第に少なくなるこの時期のお花は、とても嬉しかったです。人の優しさに触れることができるのも、エアリアルのおかげです。

 エアリアルは、私の学びと気付きのためにやって来て去っていったのだとは思いますが、やはり、この手で触りたい、抱きしめたいです。

by sawa4482 | 2012-11-09 19:52 |