もうすぐ1年

 1年前の何月何日に何をしていたか、即座に答えられることは、滅多にないだろう。

 私は、10月24日のことを、ありありと思い出すことができる。

 その日は、朝から一日仕事だった。エアリアルをオフィスに連れて行き、奥の休憩室に寝かせておいた。手が空いたときは、ずっと付き添った。点滴も、そこでした。
 午前の仕事が終わる直前、ほとんど身動きのできないエアリアルが、急に上半身を起こした。「トイレ」のサイン。幸い1枚だけ持っていたトイレシートの上に寝かせると、かなり大量の排尿をした。汚れた脚を拭いてやりながら、太腿の筋肉がほとんどそげ落ちているのに衝撃を受けた。それまでは、どんな姿になっても側にいてほしいと願っていたが、これ以上生きることを望むのは、飼い主のエゴだと悟った。

 28日、日曜日。みんながトレーニングしている広場に連れて行った。大好きだったTさんが頭をなでてくれても、目も開けなかった。友達が会いに来てくれると言ったのに、突然空が黒くなり、ゲリラ豪雨。面会は断って、急いで連れて帰った。

 29日、月曜日。最後の通院。皮下点滴をしてもらい、おそらく翌日は通院できる状態ではないだろうと、点滴セットをもらって帰った。
 抜けるような青空。車の中が暑くなる程のポカポカ陽気。帰り道、珍しくエアリアルがカートの縁に頭を乗せて、こちらをじっと見ていた。「さようなら」を言っていたんだと思う。運転中であまり相手をしてやれなかったのが、心残りだ。家に着いたら、もう頭が引っ込んでいた。

 30日、火曜日。前日とは打って変わって、どんより曇って肌寒い風が吹いていた。いつものように広場に連れて行っても、身動き一つせず、「もういいよ、早く帰ろう」と言っているようだった。
 夜、久しぶりに頭が上がっていた。試しに水の入ったボウルを口に近づけると、ぴちゃぴちゃなめた。もちろん、1滴も喉には入っていなかっただろうけど。文字通り、末期の水。

 その7時間後、エアリアルは死んだ。

 思い出すと、今でも心が痛む。涙が溢れる。毎日、時間単位の変化に翻弄され、死を覚悟してからは身の置き所がない程辛い毎日だった。
 けれども、あの1ヶ月は、日々弱っていく姿を見せて、往生際の悪い飼い主が心の準備をするために、エアリアルが与えてくれた時間だったのだと思う。付ききりで看病する時間は、エアリアルが私にくれた最後の贈り物だったのだと。

 エアリアルが病と死をもって教えてくれたことを、エアリアルに返すことは、永遠にできない。それが残念でならない。残された2頭のためにに生かすことが、私に残された使命なのだろう。

by sawa4482 | 2013-10-27 19:40 |